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つぶやき。このすぐ下のエントリでこうの史代「この世界の片隅で」について散々延々と書き散らしたわけだが、その中のエピソードで「んもうあきらかにきな臭いんだけど、はっきり意味がわからない!」ものがひとつあったのでぐぐった。便利な世の中である。で、そのエピソードというのは、主人公のすずに「知らない人」周作との縁談が持ち上がった時、いつもは優しいすずのおばあちゃんが、えらく神妙にレクチャーしたこのやり取り。
「…ほいでのう すずちゃん」「向こうの家で結婚式を挙げるじゃろう」
「うん」
「その晩に婿さんが『傘を一本持てきたか』言うてじゃ」
「ほしたら『はい 新なのを一本持てきました』言うんで」
(↑ここタテ3/4ページぶち抜きの長コマ)
「ほいでむこうが『さしてもええかいの』言うたら」「『どうぞ』言う」「ええか?」
「……なんで?」
「なんでもじゃ」
(その後なんともいえぬ間)
(こうの史代「この世界の片隅で 上」P.58)
で、グーグル先生も教えてくれないのね。これ。一気に不便度がwww.以前の時代まで逆戻りだよ!というわけで、90年代初頭の学生時代に戻ったかのように、調べた。もはやその遣り取りの意味とかはどうでもよい。初夜に関する話だから、まあそんなニュアンスの話だろうし。もともとものを調べることに関してだけは、どれだけ手数が募ろうが、時間がかかろうが、大儀とも思わない質なのであった。つまり手際が悪いので肩は凝った。
結局検索ツールはグーグルなんだけど、いながらにして調べられるのは楽だね。ソースの確実性がいまいちなのと引き換えに、利便性を採るぜ。とまれ、その検索結果の中で、比較的蓋然性が高いようなのが「柿の木問答」という奴だった。
新郎が新婦に
「あんたの家に柿の木はあるか」と問うところからはじまり、新婦は
「あります」と答える。ところによっては
「実はよう生るか」「はい」という問答が挿入される。新郎は
「俺が登ってちぎってもいいか」と続け、新婦は必ず
「どうぞ」と答える。今で言うと初夜用の会話テンプレで、このとおりではなくとも、これに類似のやり取りを済ませてから新床の契りを交わすという習俗が、広く各地にあったとの由。昔はよく知らない者同士で結婚することが多かったので、こういうテンプレ会話が盛んに用いられたという説もある。傘の遣り取りは多分そのヴァリエーションだが、随分直截的だし、結実=子づくりの要素がからんでない気もするので、結局真偽のほどは定かではない。
で、この「柿の木問答」を調べるうちに、ふたつのエピソードが引っかかってきた。
ひとつは、嫁に来る女は柿の苗木を持ってきて婚家に植え、ライフステージをその成長とともに過ごし、死んだらその木を伐って火葬の薪に使い、日常生活の風呂や竈の火には決してくべてはならないというもの。この話どっかで聴いたことがあるなと思ったら、大河ドラマ「太平記」で楠木正成の妻・久子が語っていた話とほぼ同じである。「わたくしは体が弱いから、この木もすぐに伐られてしまってかわいそうと思っていました」と久子は呟く。しかし楠木家の嫁として、約10年ほど夫と連れ添い、嫡男をはじめ子にも恵まれ、今までしあわせな暮らしだった--と述懐し、夫が後醍醐天皇に呼応して鎌倉幕府に叛旗を翻すにあたっては、この木ごと屋敷を焼き払う火を放つ。久子のそれまで成し遂げてきた「生み育む営み」と、女の一生も生死レベルで変転する「戦乱の巷」とを対比する良エピソードであった。
ドラマのフィクションかと思っていたら、地方によってはこのような習俗も実在したらしい(奈良あたりとか)。また、柿は実を多くつけるところから、多産・安産の守りになると伝えられる地方もあるという。嫁に行くことを大前提とした女の一生に、柿が密接にからんでいる地域が、思いのほか多いのは確かなようである。
でもうひとつのエピソードが、真偽は不明だが江戸中期の女流俳人・加賀の千代女が18歳で嫁した際の作と伝えられる
「渋かろが知らねど柿の初ちぎり」
なんかめっちゃクール…。渋かろうが甘かろうが、ちぎらなあかんのか!と、愕然とした。現代結婚市場の大多数を占める
「何らかの手段で恋愛状態に突入し得る相手をゲット→恋愛→セックス→結婚したりしなかったり」
この流れとは結構かけ離れてるよな。身の回りを見まわすと、要素の順序こそ微妙に入れ替わる場合もあるが、だいたい上記的な帰趨を辿った人が99%くらい。で、この流れを践んで、途中で破綻した場合、「自由恋愛」を「自己責任」として引き受け、雄々しく立ち直って新規まき直すか、持久戦の構えに入る--ひょっとしたら一生。わたくしは個人的に、そんな火花散る勝負の世界に、ちょっと、疲れている。なので、通過儀礼としての結婚を優先し、恋愛が必ずしも必要条件でなかった時代もあったってことが、逆に新鮮に感じた。とはいえ、さしもわたくしも夫婦間の相性は重要と考えているので、この時代に立ち戻ってほしいとは思わないけど。
「恋愛(の真似ごとだけでも)しないと結婚できない」「恋愛の果てには必ず破局か結婚で落とし前をつけなくてはならない」ってのも大変じゃない?という疑問を、わたくしは常に持っている。だいたいなんで恋愛とセックスと結婚を結びつけないと不可ないの?一生を決める選択を、ドーパミンの影響下で下すってのは、逆に無茶じゃないか?とまで、疑問が論理の飛躍を伴って脳味噌を突き抜けてしまうことも間々ある。うちも(いちおう)恋愛結婚ですが、図らずも恋愛の賞味期限が切れてから、入籍は、したのでした。
そんなわけで(どういうわけだ)結婚が「せなあかんもの」だった時代の「渋かろうがトライ!」というニュートラル感には、ちょっと惹かれた。
が、やはりわたくしも選択権を手中にしておきたい現代の女である。その前提の上ではじめて「契約としての結婚」「理性を優先して、本能的恋愛を葬るために、克己の闘いに立ち上がった恋人たちのアンチ・ロマンス」「セックスのみの渇いたリレーションシップ」「セックスフリーの上に成り立つ男女の紐帯」などのパターンを許容できるのであった。てか最後なんてもうオス×メスである必要すらないじゃんとも思うが、でもそんなあなたたちが、わたくしは好きです。人生に対して、敬虔なれ。