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【追記あり】岡村靖幸LIVE「エチケット」大阪公演と、この3年間

取り敢えず、9/16(金)のZepp Osakaに、夫と参戦してきた。

ゼップ1400番台からの風景

客層はやはり30代からがほとんどで、50代と思しき方も多かった。LIVE『家庭教師』を生で観ることのできたご年代ですね。羨ましいかぎりである。わたくしの目に見える範囲ではひとりふたりしか確認できなかったが、20代くらいの子を見かけると、おおおおお、という声を抑えられないのであった。とんでもない猛者ではないか。末恐ろしいわ。

ほぼ1400番台の風景。川沿いで待機

夫はオールスタンディングライブ初心者ならではの蛮勇を最大限に発揮し、いきなりモッシュゾーンの直後に陣取った。慌てる妻--こちらも三十路までごくおとなしく過ごしてきたので、当然、オールスタンディングの世界なんぞ知らん。幸い、その界隈ではモッシュやダイブなどはなかったが、皆さん当然叫んだり歌ったり踊ったりはする。そんな周囲の熱狂を他所に、夫は2時間半の間、踊りも歌いもせず、直立不動だったので、気に喰わんを通り越して怒っているのかと思っていたら、ダンス(というか、『サブカルのすすめ』さんの名表現によると『デェンス』)を高く評価しており、「あの変態ダンスは素晴らしかった。あんたに放り込まれたワンマンショーでのミッチーのポージングと同じくらいのインパクトはあったぞ。2時間半、ぶっとおしで独創性を失わず踊り続けていたので、更に偉い。ただ、仕事としては、自分の声が出てないのを観客に歌わせるところが多すぎて、やや横着だったな」という感想であった。

 妻のほうは、もう、言うまでもない。『風と共に去りぬ』かよっ、ってくらい時代がかったオーケストラのBGMでさんざハードルが上がったあとの1曲目が『どぉなっちゃってんだよ』だったので、しょっぱちから叫ぶは、歌うは、踊るは、飛ぶは、岡村ちゃんが衣装替えで引っ込むたびに「炙ってねえだろうな…」と疑うは、やりたい放題である。パフォーマンスは予想以上に良かった。夫のようにデェンスに反応するほどの感性はなかったけど、1曲1曲セトリを調べるほどの予習はせず、しかしツアータイトルになってるアルバムくらいは聴いていたので、夫が渋い顔してた岡村ちゃんの矢鱈なコール&レスポンスにも何とかついていけたし。岡村ちゃんの声が出ないところはぜんぶ拾って歌ったる、くらいの愛と記憶はある。でも期待以上に声は出てくれていた。サビ部分をオーディエンスに半分振る、くらいだったし、こっちはもともとほとんど自主的に歌が口を衝いて出ちゃってるし--大丈夫だ、問題ない。否、ほんとうはダメなのかも知れない。だからといって、So what?ちゃんと今日出てきてくれて姿を観られることだけで、奇跡なんだから。それくらい、岡村ちゃんのことは、信じてない。というか、岡村ちゃんの病状が改善してると、全然思ってない。それは今も全く変わらない。変わらないうえで、好きです。それはどうしようもない。今まで観て楽しんだり、聴いてよかったりした経験はいくらもあるけど「会えてよかったな」と思ったことはなかった。彼も、わたくしも、元気で、生きていて、会えてよかったな、という、戦火をくぐったかのような、掃き溜めの中のような、奇妙な親密さがあった。客観的に言えばキモいんだけど--なんなんだろうねあれ。

岡村ちゃんは『カルアミルク』で泣いていた(夫に言わせると咳き込んでいた。あれ、サポメンさんに風邪でもうつされた?)。仲直りしたいのかな、と思った。別に最初から嫌いで別れたわけではないだろう。ちっちゃな根性が何度も挫けただけだ。 やり直せる。至難の業でも、出直せる。そう信じるのがわたくしにとっては生きるモチベーションのひとつだ。あの思い出が何度ダメになっていっても、また、新しい思い出で生きていけると思うし。あとは、『モン・シロ』がよくなってて、『いじわる』は原曲のほうが好きだと思った。『祈りの季節』で、「大阪子ども産め!!」と言われ「イエーーーーーー!!!」とレスしてしまったが、生まんよ。あの曲の『眠れない夜はきっと…』って件の歌詞がすごく好き。それから。あんなに「SEX!!!!」と叫ぶのは、今後の人生で、靖幸ちゃんとのデートの時だけだと誓いました。叫ばせろ。できるだけ数多く。何度でも行くからさ。何度でもやってくれ。

ギターとエレピは文句なしに凄かった。ただ、ネタがなかったのか、弾き語りの7割超は「大阪ベイベー愛してるぜ」「ほんまやで」で占められていた。しかし「違う違う(ちゃうちゃう)」のくだりは、やはりチャーミングなのであった。エレピの弾き語りに『lovin'you』の一節を混ぜてくれたのは、かなりのボーナストラックであった。そして、何故かそちらのほうが、自分の持ち歌よりピッチが安定しているのであった。正直、うっかりすると持ち歌は、岡村靖幸が歌ってるのを聴いてるというより、岡村靖幸のカラオケを聴いている、程度の完成度のところもあった。たぶん、提供曲は、最初からさわりしか歌わないと決めてて、アレンジもさほど加える気がないから、安定するのであろうという感じ。

ギターは『愛の才能』だった。あれ全曲歌ってくれんかなってくらい好きである。 そんでラストはお定まりの『Out Of Blue』。もうあのモーレツギターが聴けただけで、何か人生の要素をひとつ引き換えにしてもいいと思った。そんな悪魔的な魅力で、黒のオベーションが火を噴いてたぜ。セトリは他のサイトさんに上がってるので、特に印象に残ったところだけ書いてみた。



結局のところ、ひとつの残酷な世界から逃れようとしてどこでもドアを開けても、向こう側に広がっているのは、別の残酷な世界なのだ。そして、世界はその『あるがままにあり、見えるようにしか見えない』という残酷な特質ゆえに、ときどき、豪く美しい。岡村ちゃんにもこの不思議な、残酷だか美しいんだかわからない世界に、できるだけ永く留まっていてほしいと思った。
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楽園 | comments(0)  

通過儀礼と柿

JUGEMテーマ:つぶやき。

このすぐ下のエントリでこうの史代「この世界の片隅で」について散々延々と書き散らしたわけだが、その中のエピソードで「んもうあきらかにきな臭いんだけど、はっきり意味がわからない!」ものがひとつあったのでぐぐった。便利な世の中である。で、そのエピソードというのは、主人公のすずに「知らない人」周作との縁談が持ち上がった時、いつもは優しいすずのおばあちゃんが、えらく神妙にレクチャーしたこのやり取り。

「…ほいでのう すずちゃん」「向こうの家で結婚式を挙げるじゃろう」
「うん」
「その晩に婿さんが『傘を一本持てきたか』言うてじゃ」
「ほしたら『はい 新なのを一本持てきました』言うんで」
(↑ここタテ3/4ページぶち抜きの長コマ)
「ほいでむこうが『さしてもええかいの』言うたら」「『どうぞ』言う」「ええか?」
「……なんで?」
「なんでもじゃ」
(その後なんともいえぬ間)

(こうの史代「この世界の片隅で 上」P.58)

で、グーグル先生も教えてくれないのね。これ。一気に不便度がwww.以前の時代まで逆戻りだよ!というわけで、90年代初頭の学生時代に戻ったかのように、調べた。もはやその遣り取りの意味とかはどうでもよい。初夜に関する話だから、まあそんなニュアンスの話だろうし。もともとものを調べることに関してだけは、どれだけ手数が募ろうが、時間がかかろうが、大儀とも思わない質なのであった。つまり手際が悪いので肩は凝った。

結局検索ツールはグーグルなんだけど、いながらにして調べられるのは楽だね。ソースの確実性がいまいちなのと引き換えに、利便性を採るぜ。とまれ、その検索結果の中で、比較的蓋然性が高いようなのが「柿の木問答」という奴だった。

新郎が新婦に「あんたの家に柿の木はあるか」と問うところからはじまり、新婦は「あります」と答える。ところによっては「実はよう生るか」「はい」という問答が挿入される。新郎は「俺が登ってちぎってもいいか」と続け、新婦は必ず「どうぞ」と答える。今で言うと初夜用の会話テンプレで、このとおりではなくとも、これに類似のやり取りを済ませてから新床の契りを交わすという習俗が、広く各地にあったとの由。昔はよく知らない者同士で結婚することが多かったので、こういうテンプレ会話が盛んに用いられたという説もある。傘の遣り取りは多分そのヴァリエーションだが、随分直截的だし、結実=子づくりの要素がからんでない気もするので、結局真偽のほどは定かではない。

で、この「柿の木問答」を調べるうちに、ふたつのエピソードが引っかかってきた。

ひとつは、嫁に来る女は柿の苗木を持ってきて婚家に植え、ライフステージをその成長とともに過ごし、死んだらその木を伐って火葬の薪に使い、日常生活の風呂や竈の火には決してくべてはならないというもの。この話どっかで聴いたことがあるなと思ったら、大河ドラマ「太平記」で楠木正成の妻・久子が語っていた話とほぼ同じである。「わたくしは体が弱いから、この木もすぐに伐られてしまってかわいそうと思っていました」と久子は呟く。しかし楠木家の嫁として、約10年ほど夫と連れ添い、嫡男をはじめ子にも恵まれ、今までしあわせな暮らしだった--と述懐し、夫が後醍醐天皇に呼応して鎌倉幕府に叛旗を翻すにあたっては、この木ごと屋敷を焼き払う火を放つ。久子のそれまで成し遂げてきた「生み育む営み」と、女の一生も生死レベルで変転する「戦乱の巷」とを対比する良エピソードであった。

ドラマのフィクションかと思っていたら、地方によってはこのような習俗も実在したらしい(奈良あたりとか)。また、柿は実を多くつけるところから、多産・安産の守りになると伝えられる地方もあるという。嫁に行くことを大前提とした女の一生に、柿が密接にからんでいる地域が、思いのほか多いのは確かなようである。

でもうひとつのエピソードが、真偽は不明だが江戸中期の女流俳人・加賀の千代女が18歳で嫁した際の作と伝えられる

「渋かろが知らねど柿の初ちぎり」

なんかめっちゃクール…。渋かろうが甘かろうが、ちぎらなあかんのか!と、愕然とした。現代結婚市場の大多数を占める

「何らかの手段で恋愛状態に突入し得る相手をゲット→恋愛→セックス→結婚したりしなかったり」

この流れとは結構かけ離れてるよな。身の回りを見まわすと、要素の順序こそ微妙に入れ替わる場合もあるが、だいたい上記的な帰趨を辿った人が99%くらい。で、この流れを践んで、途中で破綻した場合、「自由恋愛」を「自己責任」として引き受け、雄々しく立ち直って新規まき直すか、持久戦の構えに入る--ひょっとしたら一生。わたくしは個人的に、そんな火花散る勝負の世界に、ちょっと、疲れている。なので、通過儀礼としての結婚を優先し、恋愛が必ずしも必要条件でなかった時代もあったってことが、逆に新鮮に感じた。とはいえ、さしもわたくしも夫婦間の相性は重要と考えているので、この時代に立ち戻ってほしいとは思わないけど。

「恋愛(の真似ごとだけでも)しないと結婚できない」「恋愛の果てには必ず破局か結婚で落とし前をつけなくてはならない」ってのも大変じゃない?という疑問を、わたくしは常に持っている。だいたいなんで恋愛とセックスと結婚を結びつけないと不可ないの?一生を決める選択を、ドーパミンの影響下で下すってのは、逆に無茶じゃないか?とまで、疑問が論理の飛躍を伴って脳味噌を突き抜けてしまうことも間々ある。うちも(いちおう)恋愛結婚ですが、図らずも恋愛の賞味期限が切れてから、入籍は、したのでした。

そんなわけで(どういうわけだ)結婚が「せなあかんもの」だった時代の「渋かろうがトライ!」というニュートラル感には、ちょっと惹かれた。

が、やはりわたくしも選択権を手中にしておきたい現代の女である。その前提の上ではじめて「契約としての結婚」「理性を優先して、本能的恋愛を葬るために、克己の闘いに立ち上がった恋人たちのアンチ・ロマンス」「セックスのみの渇いたリレーションシップ」「セックスフリーの上に成り立つ男女の紐帯」などのパターンを許容できるのであった。てか最後なんてもうオス×メスである必要すらないじゃんとも思うが、でもそんなあなたたちが、わたくしは好きです。人生に対して、敬虔なれ。
歴史のお時間 | comments(2)  

この世界の片隅に・下の2

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
 
下巻の続き。妙なところで切ってしまったが、ここからがこの作品の「演出」「構成」「展開」が氾濫する箇所だということだけは確かだ。折り畳み部分は例によってネタバレというか暴露の嵐。構成力ないので長いです。上巻からずっと長いんだけど。

呉の空襲、広島への原爆投下、そして終戦と終戦後も続く生活…。滅多打ちにされたすずの「普通」は、果たして「普通」に戻るのか、変質したままか、新しい「普通」があるのか?ここらへんを描写するにあたって、こうの史代は手段を選ばなかったともいえるし、選び抜いたともいえる。これを論じようとは、無謀だった…。討ち死にです。さりながら、晴れ晴れとした自暴自棄感があります。

尤も、現物を一読するに如くはありません。というか、読まんとわからん。
絵柄に騙されちゃいけないよ。渾身の力技がこれでもかと繰り出され、読者はそれこそ脳味噌を滅多打ちされる。こんな目に遭うなんて…生きててよかった。(c)二ノ宮知子「のだめカンタービレ」
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読書 | comments(1)  

この世界の片隅に・下の1

JUGEMテーマ:読書

はい。遂にここまできました。下巻です。エントリを2分割させて戴きます。わたくしたちは歴史としての戦争の経緯を知っている。特に、戦争末期の惨禍を知っている。8/6には広島市に原爆が投下され、広島は「ヒロシマ」と呼ばれるようにもなった。8/15には終戦である。これだけでもすずの人生の行く手に大きな困難があるであろうことは推測できる。

ところで、広島市は原爆の投下まで目立った空襲の被害を受けなかったということを聞いたことがある。連合軍の攻撃は、どちらかと言えば、鎮守府の所在地で海軍の中枢機能が集積していた呉に向かっていた。本作の主人公、嫁入りから1年あまりの日々を積み重ねてきた北條すずは、どちらの地にも浅からぬ縁がある。わたくしたちは、タイトルが1カ月刻みに「その日」に近づいていくことを意識せずにはいられない。「序破急」でいえば「急」にあたる、終幕前の急激な部分。今まで日常生活の諧調の中に巧みに戦時の存在を織り込んできた物語が、戦火に焼かれ、不断の努力で「普通」の生活を続けてきたすずの「普通」が傷つき、烈しい痛みを負う瞬間が表現される。

そういう下巻のうち、今回は前半について記述したい。わたくし、個人的には、ネタバレにも2種類あると思っている。物語の流れに触れてはいるが、自分の解釈を提示するなどして、それ自体が読み物として成立しており、原作を読んでみようかという楽しみを提供する「いいネタバレ」と物語そのものに突っ込みすぎて、他者が物語から酌むものを減らし、悦びを損なう「悪いネタバレ」だ。以下はいいネタバレを目指して書いた悪いネタバレじゃないかと自分では思っている。あああ。
 
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読書 | comments(2)  

この世界の片隅に・中

JUGEMテーマ:読書

若妻・北條すずの「小さな新しい世界」のお話も中巻に入った。作者こうの史代は「最初序・破・急としようかと思ったが、エヴァンゲリオンがそうなるそうなのでやめときました」という趣旨のことを書いていた。「破」の意味を調べてみたら、日本の芸道において序を受けて「テンポ」「リズム」「構成」「演出」などのさまざまな要素が展開していく部分という説明があった。さてすずの物語の展開はどうなるのだろうか。

ネタバレなしで言えば、中巻は確かに「展開部」であり、今まで登場した身近な人物や状況の描写が変化し、深化していく一方で、新しく物語に座を占める登場人物もあらわれ、優しいユーモアを基礎とした人間関係に、一種の波乱の兆しが見えてくる。しかしその波乱は、飽く迄でも穏やかに優しく流れる水面の下の波乱なのである。だからこそいっそう足はとられるが、見えにくい。そういう書き方にしてある。また、上で「新しい」登場人物とした人びとは、パーソナリティが確立した「その人」として本格的に喋り行動するのは確かにはじめてだが、むしろ「過去の記憶からの使者」と言い換えた方が適当なのかも知れない。「記憶からの使者」が、現在に実体として登場し、新しく、より鮮明な記憶をすずに刻んでいくという感じを得た。

さて、以下は未読者には差し障りになりかねない記述だらけなので、折り畳んでいます。未読のうちは余計なノイズになりかねぬ書きかたをしている自覚もあります。巧みに物語の新鮮さを失わない程度のエッセンスを抽出して、「読ませる」書評の方が、この物語には重要だと思う。でもわたくしの場合、読んでしまったからにはこの書きかたになっちゃうんだ。残念!

そんなわけで言いわけ終了。

以下ネタバレ!読んで後悔することはあっても、読まなければ後悔せずに済むのは請け合いよ!!
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